沿革

1943年~1956年(3月)
1943年 徳島市立市民病院を母体として, 徳島県立徳島医学専門学校が設立
12月 牧野利三郎の「レントゲン間接撮影法の研究」に対し, 文部省緊急科学研究費が交付
4月 牧野利三郎, 徳島医学専門学校教授(放射線科学)就任
8月 牧野利三郎教授, 召集
1945年 4月 官立徳島医学専門学校に改称
7月 徳島市大空襲により, 医専病院の全施設を焼失
徳島医専病院は旧陸軍病院の国立徳島病院に仮寓, 次いで蔵本乾繭倉庫に移住
大正時代の深部治療用高圧発生装置を入手し, 改造, 焼け残りのラジウム46mgにて癌治療実施
9月 牧野利三郎教授, 復員
1946年 8月 日本レントゲン技術学会四国支部主催,「レントゲン技術講習会」を徳島医専病院で開催
1948年 2月 官立徳島医科大学に改称
1949年 5月 国立学校設置法(昭和24年法律第150号)により, 徳島医科大学、徳島医学専門学校、徳島高等学校を包括して徳島大学医学部(入学定員60人)が設置
1950年 3月 牧野利三郎教授, 退職し牧野放射線科開業