沿革

1957年~1988年

1957年 1月 河村文夫, 北海道大学より徳島大学教授(放射線医学)として赴任
  当時, 放射線医学教室は既に60年以上を経た老朽兵舎のー棟を使用。装置としては,透視台1台, 撮影装置2台断層及び立位横断撮影装置及びコバルト60治療装置が主なものであった。
  当時の医局員は, 西岡助教授のほか, 助手として天羽, 益崎, 下保, 山田, 麻植, 大学院生の板垣, 森口の諸氏が在籍。同年河野吉宏が入局
6月 「放射性同位元素による放射線障害の防止に関する法律」が公布
  7月 徳島大学原子力放射性同位元素委員会規則が制定
  9月 河村文夫教授, 日本医学放射線学会評議員に選出(以後退任まで)
1958年 4月 徳島大学附属病院, 院内措置としてRI診療部を新設
  11月 天羽一夫, 助教授(放射線医学)就任
1960年 4月 徳島大学医学部附属診療エックス線技師学校開校, 河村文夫教授, 初代校長併任
1961年   高松の四国鉄道病院に放射線科が設けられ, 天羽助教授を部長として派遣, 又, 麻植助手を高知県立中央病院医長として派遣したのが契機となり, 香川, 高知, 愛媛, 徳島の各県の主要病院に放射線科設置
  3月 徳島大学大学附属病院の放射線部門を含む中央診療施設の建築開始
  4月 第20回日本医学放射線学会総会で, 河村教授が宿題報告「X線映画法の研究」を発表
  これは, 天羽, 新居, 森口, 河野, 黒田, 井上, 兵頭, 田岡, 谷脇, 板東, 長瀬, 岡本, 山内, 大形, 手川, 藤田らの医局, 技師室全員の2年にわたる協力で完成した成果であった。また, 学会場と徳島大学の無線によるX線テレビの遠隔送受信実験に成功した。
  9月 新居和, 助教授(放射線医学)就任
1962年 7月 河村文夫教授, 文部省在外研究員として西ドイツ及びスウェーデンヘ1年留学。
1963年 6月 RI診療部完成
    同診療部に医師は河野, 技師は河原が配属。シンチスキャナー(RDA-106)設置, 使用核種I-131, Au-198, P-32, Fe-59にてRI検査開始
  11月 日本医学放射線学会西日本部会を徳島大学放射線科で開催
1965年 4月 天羽一夫, 放射線部部長就任
  8月 天羽一夫, 助教授(放射線医学)再任。
1966年 3月  外来棟, 中央診療棟完成
    フィルムの現像処理に自動現像機が設置され暗室作業が軽減
    コバルト60回転治療装置設置
    河村文夫教授, 第3回ICRRに出席のためイタリアに出張
1968年   本学も新教室に移転後に大学紛争の嵐に巻き込まれ, 3ヵ月の封鎖をはさむ数年間の空白期があったが, 放射線医学教室は教室員の一致協力によりこの時期を平穏に過ごし得た。
1969年 4月 徳島大学医学部附属診療エックス線技師学校廃止, 徳島大学医学部附属診療放射線技師学校に改組
    同校長に河村教授就任
1970年 11月 河村文夫教授を部会長として第6回日本医学放射線学会臨床シンポジウム部会を徳島で開催
1972年 10月 西岡清春, 慶応大学教授(放射線科)として転出
    直線加速装置(ML-15M)設置
    シンチカメラ(GCA-101)およびRIデータ処置装置設置
1973年 4月 中央放射線部設置(文部省訓令)
    当初放射線部は, 初代部長に河村教授, 副部長の藤原, 医局長の鴻池, 助手の渡辺, 技師長の大形, 技師12名, 技術員5名の構成であった。
  6月 河村文夫教授, 徳島大学医学部附属病院中央放射線部部長併任
  7月 河村文夫教授, 徳島大学原子力・放射性同位元素委員会委員長就任
10月 河村文夫教授, 第13回ICR出席のためスペインに海外出張
1974年 4月 河村文夫教授昭和60年3月まで日本医学放射線学会理事に選出
    小林仁道, 宇都宮大学助教授(教育学部)として転出
  10月 河村文夫教授, 第17回日本放射線影響学会大会長となり学会を開催
1976年 1月 河村文夫教授, 徳島大学保健管理センター所長併任
  2月 河村文夫教授, 昭和53年1月まで徳島大学評議員併任
  4月 天羽一夫, 旭川医科大学教授(放射線医学)として転出
    藤原寿則, 助教授(放射線医学)就任。
    X線CT装置(頭部専用)運用開始
1977年 4月 兵頭春夫, 独協医科大学教授(放射線医学)に転出
  5月 河村文夫教授, 第37回日本医学放射線学会総会を徳島市において開催
  7月 竹川佳宏, 助教授(放射線医学)就任。
1979年 4月 中央放射線部を放射線部と改称
    小林仁道, 宇都宮大学教授(教育学部)に転出
    鴻池 尚, 助教授(放射線部)就任
1980年 1月 河村文夫教授, 昭和56年11月まで徳島大学医学部附属病院院長併任
    病院長として長年の懸案であった耳鼻科問題を解決
1981年 10月 河村教授, 昭和60年10月まで日本核医学会理事に選出
1984年 9月 第2回四国レントゲンカンファレンスを青藍会館において開催
1985年 1月 渡辺紀昭, 助教授(放射線医学)就任
  10月 河村文夫教授, 第25回日本核医学会総会を徳島で開催
    渡辺紀昭助教授逝去
1986年 10月 河村文夫教授, 日本肺癌学会理事に選出(平成元年11月まで)
    第6回四国レントゲンカンファレンスを青藍会館において開催
1988年 3月 河村文夫教授, 昭和32年1月就任以来32年間を経て, 定年退官, 同年名誉教授の称号授与
  4月 河村文夫前教授, 四国中央病院院長就任
    吉田秀策, 助教授(放射線医学)就任
    徳島大学医学部附属診療放射線技師学校廃止, 徳島大学医療技術短期大学に改組
    竹川佳宏, 徳島大学医療技術短期大学教授(診療放射線技術学科)就任
    河野幸子, 徳島大学医療技術短期大学助教授(診療放射線技術学科)就任


徳島大学大学院
医歯薬学研究部 放射線医学分野

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